今までのコンサートの記録

第150回コンサート
プレアデス・ストリング・クァルテット
Pleiades String Quartet
2009年9月16日(水)
プログラム

ベートーヴェン弦楽四重奏曲(6/6)
L . V. ベートーヴェン(6/6)・プログラム
: 弦楽四重奏曲 第 6番 変ロ長調 Op.18-6 (1800年)
: 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 Op.95「セリオーソ」(1810年)
: 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 Op.135 (1826年)
コンサート寸評
ASO第150回 
「プレアデス・ストリング・クァルテット」
ベートーヴェン弦楽四重奏曲(6)コンサート

プレアデス・ストリング・クァルテットのベートーヴェン弦楽四重奏曲連続演奏会の最終回。渾身の力のこもった演奏でこのシリーズを締めくくった。このシリーズは、最初が2007年の3月だったと思う。3年に及ぶ全曲演奏は、聴いている我々にもたくさんのことを教えてくれた。ひとつはベートーヴェンの音楽の多様性と成長。ふたつ目はクァルテット自体の変容。みっつ目は我々聴き手の変化。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は確かに初期と後期ではまるっきりつくりが違っている。しかし、初期から、当時の四重奏曲とは全く違うものを目指しているのは明確にわかる。初期からベートーヴェンスタイルへの鼓動が感じられた。そして一曲一曲の個性も全く違い、同じ感じのものが無い。どんどん変容していく。これはベートーヴェンの個性でもあり、弦楽四重奏曲という形式のなせる事かもしれない。つまり、誰のために書いているのか、ということ。勿論人に聴かせるためではあるし、ものによっては献呈もしているのだから、誰かのために書いたには違いはないが、曲の構想自体、いえばある部分日記に近い。ある意味では他人が分からなくてもいいのである。自らの心のうちを吐露する部分がかなり大きい。そういうようなことをこの全曲演奏によって教えられた感じがする。

 また、プレアデスクァルテットの大変な変貌と深まりを目の当たりに出来た。これは、よく歌舞伎好きのファンが、初舞台から見守るのに近い感覚があるかもしれない。長い時を演奏家とともにする愉しみ、これは本場ものの音楽の愉しみ方に近いのではないだろうか。 そしてこういう聴き方をすること自体、音楽の聴き方のひとつの柱がこころの内に出来上がってくるように思う。そうなると他のクァルテットも、もっといろいろと聴いてみたい、他はどういう表現をするのだろう、と。そんな新たな欲望が膨らむのも、この連続演奏のおかげだと思う。奏者に感謝、プロデュースに感謝。

 最終回の曲目は、6番、11番「セリオーソ」、16番。
 ただ、今回の最終回は個人的には前回の出来に比べてもうひとつ越えて欲しいように感じた。全体の景色が見渡せないような感じのところもややあったようにも思う。プレアデスのメンバーにはこの後、ハイドンやモーツァルト、あるいはショスタコーヴィチなどの全曲演奏もやっていただきたいと思っていた。しかし、このシリーズが終わってみると、しばらく間を置いてから、是非またこのベートーヴェン全曲を聴かせて頂きたいとまた思ってしまった。

(2009.9.16 松井孝夫)